『ミッシング』

ケイト・ブランシェットが出ているので見た。

西部劇の定番を踏んでいるえーが。
全体的にどこかで見たような要素がたくさんあった。

女性の叫び声(やたらキャーキャー言う)
悪いインディアン(シャーマン)
インディアンになりたい白人

そこにちょっとフェミニズムがまぶされているという感じ。

1885年メキシコの荒野で、娘二人と恋人と自給自足で暮らしている女医。
女医には言えない(言いたくない)過去があった。
幼いころ、父親が家族を残して失踪し、弟は死亡、
母親は最後は他人の家の床磨きをしなくてはならないほど貧しくつらい生活をすることになった。
家族を不幸にした父親を恨みながらも娘二人と恋人とで、
家畜の世話やメキシコ人の治療をしながら、家族のようにつつましく暮らしていた。

そこにひょんなことから失踪していた父親が現れる。
父親は失踪して以来インディアンとして暮らしており、
言葉から習慣まですべてを知り尽くしていた。

娘二人のうち、長女は、田舎暮らしを嫌い、町に出たがっていた。
町には、自分の声が聞こえるという蓄音機があり、それを見に行きたいとごねるも、
母親は牛が生まれる日だったこともあって、大反対で、結局恋人が娘二人を連れて町へ行くことになった。
日暮れまでに帰るといっていたのに、三人は帰らず、明け方、鞍をのせた馬だけが帰ってきた。
心配して母親が探しに行くと恋人は殺され木につるされていた。そばには長女のかぶっていたボンネット。
絶叫する母。次女だけが生き残っていて、長女がインディアンにさらわれたことを話す。

母親は街へ行き、保安官に娘をさらったインディアンを追うように懇願するが、
取り合ってもらえず、自分で追跡することにする。
町でたまたま捕まっていた父親と一緒に、これまでの恨みから反発しながらも、
次女も含めて三人でインディアンを追跡し始める。

この、女の人が医者で、しかも自分で敵を追跡するところがフェミだなあと思う。
ジョン・ウェインが出てたような時代の西部劇では、女性は守られる立場だったし、
被害者だったんだけど、ここでは男性と対等に渡り合い、馬で疾走し銃を構える。
しかも女医として自活してるし。
そのほかに、こんなこと(ダサい)いやだ!といいながらも、長女は鹿をさばく場面があった。
鹿をさばく、という行為は、女性が食事をつくるという家事の役目を負うのなら、
当然かも知れないけど、(だって、日本では、食事の用意の一部として、魚をさばくじゃない?)*1
なんとなく男っぽく感じた。*2

母親に恋人がいるところなんか、潔癖でなくバランスが取れていると感じた。

ところで、誘拐団のインディアンのリーダーは、シャーマンだった。
で、女医にのろいをかけるシーンがあって、
そのときに、父親と仲間のインディアンは、のろいに対抗するべく呪文を唱え、
次女は聖書を読み上げていて、面白かった。宗教が違うのにいいのか。

キリスト教/西洋医学:呪術/インディアンの治療法という対比。

馬でかける場面がかっこいい。

インディアンが白人をさらうということは本当にあったみたいで、
大体、自分の死んだ(白人に殺された)子供の変わりや商売用。
でも、西洋や日本みたいに売らられた子供が、売春婦にされることはなかったみたい。
売られても自分の子供として育てたり、妻にしたり。

*1:でも、そういや魚をさばく場面を映画で見たことないかも。

*2:鹿を吊るして、皮を剥いでいた。当然血みどろ。